2011年06月16日
自由という名の畑。
毎度、ちゃたろうです
いやぁ、今日は突発的な雨に降られましたね~、まいった。
私は卒研で、森林の育ってきた歴史をひもとくために、木の年輪を観察するんです
ここ1週間は、切り出してきたサンプル木材を、毎朝外に干して、夕方取り込む、といった洗濯物を気にする主婦のような生活をしているのですよ。
木材って意外と水分含んでるみたいで、全然乾いてくれないんですよね。カビちゃんとの戦いです。
サンプルぬれちゃってないといいな~
さて、今回は、フリーペーパー「はだしの教室」に掲載していただいた、とんぴくりんの記事を紹介しますね!
とんぴくりんがサークルになってから、ちょうど1年ほどが経ちました。
筑波大学の方、生物資源学類の方は、葛藤と闘ってたメンバーの想いに、共感する方も居るのでしょうか?
先日、ツイッター(@sachbon)でこの記事に対する感想を寄せてくれた方がいました
直接何かレスポンスが来たのは初めてだったので、とても嬉しかったです
ぜひぜひ、なんでもイイので、感想をコメントでも、twitterでも、とんぴくりんまで届けてくれたら・・・
自分たちでつくった畑では、なんでも出来る。
2010年3月、私たちは筑波大学の空き地を耕し、自分たちの畑をつくった。勝手に耕したからか、なんと後日、植えた作物も“草刈り”されてしまった。ネタとしか思えないスタートだった。
6月、私たちは「種まくツク大生 とんぴくりん」というサークルを設立し、大学に許可をとって、大学の中心にある花壇や、学生宿舎の近くの空き地を開拓し始めた。
メンバーのほとんどは、生物資源学類(=農学部)の学生。私たちは、学類の教育に不満だ。農学部なのに十分に農業をやらず、やったとしてもすべてが用意されている“天皇の田植え”。そこには創造性がない。農業を「感じる」機会も少ない。だから私たちは、自分たちで農業を肌で感じる機会をつくっている。大好きな農業をやりながら、他の人にも農業の魅力を伝えたい、感じとってもらいたいがために。
「枠をこえる」ために
とんぴくりん=常識外れ(茨城弁)。
私たちの合い言葉のひとつ、「枠をこえる」こと。とんぴくりんはユニークな経歴をもつメンバーが多い。農業高校や総合学科、単位制高校出身であったり、不登校を経験していたり…。だから、枠や型に押し込められることに、敏感なのかもしれない。
今までの大学は、私たちにとって息苦しかった。夢や希望を大きくもち、志高く入学したのに、自分のやりたいことや理想と、目の前の枠―たとえばコースや研究室―を照らし合わせ、次第に、自分のやりたいこと、そして自分自身も既存の枠にはめていた。その枠の中でしか「自由」はない。
無数の「枠」に捕らわれ、誰かがしいたレールからはみ出すことを恐れながら生きていた。だけど私たちは、それに苦しめられていることに気づいた。凄く辛かった。だから一つずつ、枠を外していこうと決めた。
たとえば、先輩・後輩という枠をこえるために、敬語を禁止し、畑ネームをつけて呼び合ったり、「サークル」ではあっても、ミーティングの内容から、時間、役職(役割)、活動日や活動内容さえも、決まった枠は、何もない。メンバー一人一人がとんぴくりんを形作り、色づけ、自由に創造していけるように。
素直になれるから、畑でつながる
私たちは、畑が好き。ただそれだけ。だけどそれが本当に楽しくて幸せなのは、畑を通して、とんぴくりん内を初め、人と出逢い、つながっていっているのを感じるから。ただメアドや名刺を交換しただけの表面上ではない、本当のつながり。それは普段、無意識に相手との間につくっている「自分」という枠―あるいは壁―から脱することでもあるだろう。
あえて何も決まってない、私たちの畑。そこでは、しなければならないことは何もない。こういう自分でなければいけないということもない。本当に素の自分でいられる。だからこそアイディアにあふれていて、楽しい。そして肩書きも理由も何ももたず、他の人も入ってきてつながっていくのだろう。
今まで大学という空間は、人と人がすれちがう“駅”のような場でしかなかった。だけど、畑での挨拶からつながった人、楽しそう!と飛び込んでくれた人、野菜をもらってくれた人…色々なつながりが生まれた。
創造の種まき
私たちは、畑という枠さえもこえたい。「おっ」と目をひくことで、周りにも気づいてほしい。枠をこえる容易さと楽しさを。
普通、一つの作物がきれいに並んでいる、畑。とんぴくりん畑では、色んな種類のマイナーな野菜がちょっといびつに並んでいる。
普通花がうわっている花壇。そこに野菜を植えた。「こんなところで野菜って育つの?」という驚きのために。
普段誰も立ち入らない場所にある、私たちの畑。朝急いで自転車で通過するような、ただの風景とされてしまう通学路の道ばた。水道からも遠く、土の条件も悪い。そこに畑を作ったのは、ただ「そこに土があったから。」
畑は私たちの自己表現の場。それは「創造」の種まき。通りがかった人に「何か」を感じてほしい。そしてその人が、自分の中の「種」に気づいて、型にはまった何かの再生産ではなく、自分自身で何かを創り出すエネルギーと喜びに変えてくれたら。
レールだらけで、再生産を強いられる教育環境にいるからこそ。
そんなきっかけとなるような畑でありたい。
そうして、また私たちは、気の向くまま、くわをもって、畑という名の「自由」にむかう。朝の作業後のすがすがしいひとときを、大好きな人たちと味わうこの上ない幸せ。そんな幸せを感じられる自分たちが好き。
やりたいことを抑えなくていい場所。素直になれるところ。野菜に彩られ、人と、土と、すべてがつながっている大学。私たちがとにかくワクワクして、楽しいのは、畑に私たちの夢と希望がたくさんつまっているから!!
枠ばかりの「大学」で、自分たちの畑を作ったことに、私たちの希望がある。とんぴくりんでは、文字通り、何でも出来る!私たちが生き生きと、キラキラと、生きている!
そして、願わくは、私たちの畑で誰かが何かを感じて、大学全体も同じように輝けますように!
いやぁ、今日は突発的な雨に降られましたね~、まいった。
私は卒研で、森林の育ってきた歴史をひもとくために、木の年輪を観察するんです
ここ1週間は、切り出してきたサンプル木材を、毎朝外に干して、夕方取り込む、といった洗濯物を気にする主婦のような生活をしているのですよ。
木材って意外と水分含んでるみたいで、全然乾いてくれないんですよね。カビちゃんとの戦いです。
サンプルぬれちゃってないといいな~
さて、今回は、フリーペーパー「はだしの教室」に掲載していただいた、とんぴくりんの記事を紹介しますね!
とんぴくりんがサークルになってから、ちょうど1年ほどが経ちました。
筑波大学の方、生物資源学類の方は、葛藤と闘ってたメンバーの想いに、共感する方も居るのでしょうか?
先日、ツイッター(@sachbon)でこの記事に対する感想を寄せてくれた方がいました
直接何かレスポンスが来たのは初めてだったので、とても嬉しかったです
ぜひぜひ、なんでもイイので、感想をコメントでも、twitterでも、とんぴくりんまで届けてくれたら・・・
自分たちでつくった畑では、なんでも出来る。
2010年3月、私たちは筑波大学の空き地を耕し、自分たちの畑をつくった。勝手に耕したからか、なんと後日、植えた作物も“草刈り”されてしまった。ネタとしか思えないスタートだった。
6月、私たちは「種まくツク大生 とんぴくりん」というサークルを設立し、大学に許可をとって、大学の中心にある花壇や、学生宿舎の近くの空き地を開拓し始めた。
メンバーのほとんどは、生物資源学類(=農学部)の学生。私たちは、学類の教育に不満だ。農学部なのに十分に農業をやらず、やったとしてもすべてが用意されている“天皇の田植え”。そこには創造性がない。農業を「感じる」機会も少ない。だから私たちは、自分たちで農業を肌で感じる機会をつくっている。大好きな農業をやりながら、他の人にも農業の魅力を伝えたい、感じとってもらいたいがために。
「枠をこえる」ために
とんぴくりん=常識外れ(茨城弁)。
私たちの合い言葉のひとつ、「枠をこえる」こと。とんぴくりんはユニークな経歴をもつメンバーが多い。農業高校や総合学科、単位制高校出身であったり、不登校を経験していたり…。だから、枠や型に押し込められることに、敏感なのかもしれない。
今までの大学は、私たちにとって息苦しかった。夢や希望を大きくもち、志高く入学したのに、自分のやりたいことや理想と、目の前の枠―たとえばコースや研究室―を照らし合わせ、次第に、自分のやりたいこと、そして自分自身も既存の枠にはめていた。その枠の中でしか「自由」はない。
無数の「枠」に捕らわれ、誰かがしいたレールからはみ出すことを恐れながら生きていた。だけど私たちは、それに苦しめられていることに気づいた。凄く辛かった。だから一つずつ、枠を外していこうと決めた。
たとえば、先輩・後輩という枠をこえるために、敬語を禁止し、畑ネームをつけて呼び合ったり、「サークル」ではあっても、ミーティングの内容から、時間、役職(役割)、活動日や活動内容さえも、決まった枠は、何もない。メンバー一人一人がとんぴくりんを形作り、色づけ、自由に創造していけるように。
素直になれるから、畑でつながる
私たちは、畑が好き。ただそれだけ。だけどそれが本当に楽しくて幸せなのは、畑を通して、とんぴくりん内を初め、人と出逢い、つながっていっているのを感じるから。ただメアドや名刺を交換しただけの表面上ではない、本当のつながり。それは普段、無意識に相手との間につくっている「自分」という枠―あるいは壁―から脱することでもあるだろう。
あえて何も決まってない、私たちの畑。そこでは、しなければならないことは何もない。こういう自分でなければいけないということもない。本当に素の自分でいられる。だからこそアイディアにあふれていて、楽しい。そして肩書きも理由も何ももたず、他の人も入ってきてつながっていくのだろう。
今まで大学という空間は、人と人がすれちがう“駅”のような場でしかなかった。だけど、畑での挨拶からつながった人、楽しそう!と飛び込んでくれた人、野菜をもらってくれた人…色々なつながりが生まれた。
創造の種まき
私たちは、畑という枠さえもこえたい。「おっ」と目をひくことで、周りにも気づいてほしい。枠をこえる容易さと楽しさを。
普通、一つの作物がきれいに並んでいる、畑。とんぴくりん畑では、色んな種類のマイナーな野菜がちょっといびつに並んでいる。
普通花がうわっている花壇。そこに野菜を植えた。「こんなところで野菜って育つの?」という驚きのために。
普段誰も立ち入らない場所にある、私たちの畑。朝急いで自転車で通過するような、ただの風景とされてしまう通学路の道ばた。水道からも遠く、土の条件も悪い。そこに畑を作ったのは、ただ「そこに土があったから。」
畑は私たちの自己表現の場。それは「創造」の種まき。通りがかった人に「何か」を感じてほしい。そしてその人が、自分の中の「種」に気づいて、型にはまった何かの再生産ではなく、自分自身で何かを創り出すエネルギーと喜びに変えてくれたら。
レールだらけで、再生産を強いられる教育環境にいるからこそ。
そんなきっかけとなるような畑でありたい。
そうして、また私たちは、気の向くまま、くわをもって、畑という名の「自由」にむかう。朝の作業後のすがすがしいひとときを、大好きな人たちと味わうこの上ない幸せ。そんな幸せを感じられる自分たちが好き。
やりたいことを抑えなくていい場所。素直になれるところ。野菜に彩られ、人と、土と、すべてがつながっている大学。私たちがとにかくワクワクして、楽しいのは、畑に私たちの夢と希望がたくさんつまっているから!!
枠ばかりの「大学」で、自分たちの畑を作ったことに、私たちの希望がある。とんぴくりんでは、文字通り、何でも出来る!私たちが生き生きと、キラキラと、生きている!
そして、願わくは、私たちの畑で誰かが何かを感じて、大学全体も同じように輝けますように!
マスクしながら書いたなっ
こんときのとんぴくりんイケイケでどんどん言葉が出てきたよなぁ〜
いつもコメントありがとう(´∀`*)
そうね、懐かしいね!もうずいぶん昔のことに思える。
けど、ここに書かれたコトは、全然色あせてなくて、一つ一つのフレーズは、古株メンバーはもちろん、新メンバーの口からも語られるようになったよ。
目下の課題は、その理念と、実際の活動とをちゃんと結びつけること、かな^^
課題と言っても、光は見えてると私は思うけどね!
今とんぴくイイ感じだから、また夏休みはさむのがちょっと心配だけどね~